社長について。
こちらを読んでの雑感。というかメモ。
近年、「常勝」()、「西の名門」()などとメディアに書かれているガンバ大阪ですけれども、ご存知の通りJリーグ黎明期はそれはもうクソ弱かったわけで。
97年、98年のエムボマが入って突然変異的に上位に進出した時期もありましたが、あれはそれまでの蓄積が花開いたというよりも、「エムボマ」というただ個の力によってチームが引っ張られた形であります。
あれはあれで見ていて楽しかったけれども。
その弱小ガンバ大阪が、近年のここまでの躍進を遂げることができたのはひとえにクラブの努力の賜物であります。彼らの貢献がなければ今のガンバ大阪はなかったと言えるだろう。
すなわち、乾勲、佐野泉、金森喜久男という3人の社長たち。
■乾勲(1999〜2002.6)
個人的にはこの乾さんが今のガンバを作るために実は最も貢献をしてくれた人なんじゃないかと思ってたりする。
Jリーグバブルが弾けてクラブの方向性もいまいち定まっていなかった中で社長に就任し、クラブとしての経営体質の改善、組織のスリム化、単年での黒字を出すようにするなど、クラブとして一定の基盤を築いてくれた。
人数ばかりが多い会社、売れないグッズの無駄な在庫を抱えていたりしたけども、それも改善。
今でもあの頃のガンバグッズを全然ガンバと関係のないところでもらったという人も多いんじゃないかと思う。あれはこの乾さんが在庫をクリアランスしてくれたせいで回り回ってみたいなものだったりする。
(ちなみにうちにもガンバボーイのプリントされた変なバスタオルがある。)
この頃の財務諸表を見てみたいものだ。
そして上野山さんが築いた下部組織の成果が花開き始めたのもこの頃。
下部組織に投資することをやめさせるような人でなくて良かった。
その下部組織から育った才能のある選手が芽を出し始め、これからに期待できるチームの体制の基礎を作ってくれた。
それが乾さん。
タイトルこそなかったが、彼の貢献がなければ今のガンバ大阪はなかっただろうなと思う。
■佐野泉(2002.6〜2008.4)
そして佐野さん。
乾さんのあとを継いで、佐野さんはそれを発展させてくれた。
万博公園内にクラブハウスや天然芝の練習場、そしてユースのための寮といった環境の整備などを行ったのも佐野さんの時代。
乾時代の基礎の上にしっかりとした柱を立ててくれたというイメージ。
しかし佐野さんの任期中における最もエポックメイキングな出来事は、2003年のオフに西野朗との契約を延長したことだろう。
あれはサポとしてもびっくりした。
前年の2002年1stステージは4位、2ndステージは2位と躍進したチームが2003年は1stステージ12位、2ndステージ7位と期待にそぐわぬ結果。
あのロスタイムに失点しまくる試合の連続にはほとほと閉口した。
まぁ契約延長はないかなと思っていたらまさかの続投。
驚いたけれどもこれが後々の栄光に繋がった。
あの決断は本当に素晴らしかったですね。
結局、佐野さんの時代に獲得したタイトルはリーグ優勝(2005)、ゼロックス(2007)、ナビスコ(2007)、パンパシ(2008)。
それまでタイトルと無縁だったガンバ大阪が次々と勝利を重ね、見たことのない地平へと僕たちサポーターを連れて行ってくれた。
若いチームであったことだし、これからもっと素敵なことが起こりそうだという夢を見ることができた。
まぁ社長1人の力でというわけではないけれど、やっぱり美しい記憶とともに胸に残りますよね。
あと泉ちゃんは本当にサポに愛された社長でした。
グッズとかできたし。
ユースの試合とかサテの試合に奥さんと連れ添って観戦に来ていて、それがまた好感度高かった。
幸せな時代だった。
■金森喜久男(2008.4〜)
そして現社長の金森さん。
佐野さんの後を受け、さらには「新スタジアム建設」という命を受けての社長就任。
今思えば難しいタイミングでの社長就任だったと思う。
西野ガンバも成熟期を迎え、チームとしての上積みは数年前ほどは望めないといった時期。
(まぁ今思えばだけども。)
この人の評価は本当に難しいと思う。
「そんなサポーターなら要らない」とか言っちゃってコアな人たちから反感買ったりしてそれが結局最後まで尾を引いてたりしたけども、上のブログにもあるように新スタ建設への道筋を付けた人だし、サポミの開催、美味G横丁、ガンバTV、新規スポンサーの獲得、G-magazineの発行、天皇杯の万博開催等々、経営的な結果は残したと言える。
その功績は評価しないわけにはいかないだろう。
そのどれもが多くのサポーターたちを満足させるものであったし、クラブとしての経営基盤を強化させるものでもあった。
この点は銘記しなければならない。
しかし、だ。
最後にミソを付けてしまった。
ガンバ大阪に関わる人たちにとってこれからずっとその功績と共に「降格させた社長」として記憶されるだろう。
チームの低迷、果ては降格という失態を招き、クラブに数億の損を発生させた張本人である山本前強化本部長をかばうその姿勢は組織の長としては美点なのだろうが、
11年前に柏レイソルを辞めて、半年浪人されていた西野さんに、ガンバ大阪に来て欲しいと声をかけたのは、(前強化部長の)山本です。
とフォローしたのはいただけなかった。
「だからプラマイゼロだ」と言いたいのかも知れないがそれは詭弁だ。
西野を監督にしたことによる山本の功績に過去一度も報いてないのであればその論も通るだろうが、タイトルを獲得するたびに何らかの形で報いてきたはすだ。
事実、2010年6月5日のサポミで社長は「強化部が一番クラブで給料が上がった」と発言していた。
セホロペ解任の際、一応は責任を取る形で山本は強化本部長の任を解かれたが、未だクラブ内でアカデミー本部長として居座っており、ましてや取締役会にも名を連ねている。
クラブ史上最悪の事態を引き起こしたというのにまだフロントに残っているというのはこちらとしては心情的に我慢できないというのが正直なところ。
セホロペ呼んだのも、経験のない松波を「暫定」ではなく「正式」の監督にしたのも、3点以上取らないと勝てないチームにしたのも全部が全部社長のせいだとは言わないが、やはりクラブの最終決定権者として何とかできなかったという思いが残ります。
まぁ現場に口を出さないというのがまた良いところだったりもするんですけども……。
しかし難しいですね、クラブの社長というのは。
どんなに目に見える形で功績を残しても、最後の最後で「降格」というサッカー界で考え得る最悪の結果を出してしまってはそれまで積み上げた得点がすべてチャラ。
因果な商売だなと思います。
まぁとにかくお疲れ様でした。
あなたの時代に獲得したACL優勝、天皇杯連覇というタイトルにはあなたの笑顔と共に喜びの記憶しかありません。
悪い社長ではなかったよホント。
お疲れ様でした。
*
さて、次期社長は野呂さん。
新スタ建設とチームの再建はこの人の手腕に託されたわけですけども、ガンバ大阪はこれからどんな歴史を刻んでいくのか。
募金の集まりは捗らないしチームは来年J2だし、簡単ではないだろうなという思いとともに楽しみでもあります。
一緒に頑張っていきましょう。
特に何もできませんけど。
ということでよろしくお願い申し上げます。