宮本恒靖、引退。
今日、宮本恒靖が現役生活からの引退を表明した。
いろいろと、本当にいろいろと思うところはあるけども、宮本に対する思いはちょうど5年前に書いた下記のエントリの時と何も変わっていない。
なので、そのまま再掲させていただこう。
僕はずっと、「自分は“選手”よりも“ガンバ大阪”というクラブを愛してるんだ」と思ってきた。
そして実際その通りに、どんなに選手が入れ替わろうと、その気持ちがブレることはなかった。永島が出て行ったって、
礒貝が移籍したって、
エムボマがイタリアに移籍したって
稲本がアーセナルに行ったって、、
新井場がいなくなったって、
木場が移籍したって、
大黒がフランスに旅立ったって、
アラウージョがブラジルに帰ったって、
フェルの移籍が決まったって、
毎回それは寂しくはあったけれども、「まぁしょうがないよね。」という気持ちだった。
「自分は冷たいのかな?」と思うときもあった。
(唯一、松波の“引退”だけが例外。)だから宮本のこの移籍に関するニュースを初めて聞いたときも、
ああ今度こそ行くだろうな、と思いつつ
「まぁしょうがないよね。行ってらっしゃい。」という気持ちだった。
今日までは。「宮本を応援してる」なんていう積極的な気持ちには一度としてなったことはない。
そう自覚している。
でも、今この気持ち。
自分でも気付かないうちに、宮本は特別な存在になっていたんだなと改めて思った。
*
初めて宮本を知ったのはいつだったろうか。
以前にも書いたかもしれないけど、スポーツ新聞の片隅に、
アンダー世代の代表メンバーが小さく載っており、
その中に「宮本恒靖(G大阪ユース)」と書いてあったのを見て、
とても誇らしく思ったのが、一番古い記憶。
93年?「あぁ、世代別の代表に選ばれるほどの、この選手が成長してトップで活躍するようになったら、
今は弱いガンバも優勝争いできるようになるかなぁ…。」と、そのとき思ったものでした。
彼は僕らの希望だった。その後、彼は見事トップ昇格を果たし、コンスタントに試合に出場するようになる。
そして稲本潤一がJ最年少の記録を作り、小島宏美が活躍し、
都築龍太が岡中から正GKの座を奪い、二川孝広がデビューした。
僕は、このまま行けば必ずやガンバ大阪は黄金時代を迎えると信じて疑わなかった。そしてその中心にはいつも宮本恒靖がいた。
気にはせずとも、いつもそこにいた。
あれからアントネッティが去り、早野が監督に就任し、
竹本コーチが臨時で監督を務め、西野さんがやって来た。
思ってたよりずっと時間はかかったけれど、ガンバ大阪はやっと「強い」と自慢できるチームになった。宮本がガンバに入って15年。
トップにデビューして12年。長かったな。
僕らは、宮本が努力の人であることを知っている。
背が高いわけでもない。
対人に強いわけでもない。
キックが上手かったわけでもない。
そんなディフェンダーが、あれほども素晴らしいフィードができるようになり、
クレバーな守備と統率力で、W杯にも日本代表として2回も出場した。
僕らガンバサポの自慢の選手だ。
たまにポカもするけどね。
そして今、宮本は自分の夢を叶えるべく海外へと旅立つ。
頑張って来て欲しい。
持ち前の努力でもってヨーロッパでも活躍して欲しい。
もう帰る場所はないぐらいの気持ちで。
僕はずっと忘れない。
ゴールを決め、胸のエンブレムを握りしめる宮本の姿を。
どんなに痛い敗戦の後でも、くっきりとした口調でインタビューに答える宮本を。
失点しても、すぐさま仲間を奮い立たせる宮本を。
優勝の瞬間の、その涙を。
次、ガンバに帰ってきたら「じょーーずーーー」と言ってた恒凛クンは、
もうちょっと大きくなってるかな。
今読み返すとちょっと感傷的にすぎるんじゃないかとも思うけれども、やっぱりあんまり変わってない。
ガンバ大阪のユース1期生として期待を受けてトップチームに昇格し、順調にキャリアを重ね、2002年のワールドカップで活躍し、クラブにおいては2005年のリーグ優勝を初め多大な功績を残してくれた。
繰り返しになるが、宮本恒靖は当時弱かったガンバ大阪のサポーターにとっての希望だった。光だった。
その17年間の現役生活の幕を閉じることについて、応援してきた者としてはやはり淋しさもあるけども、今は本当にお疲れ様と言いたい。ありがとうと言いたい。
僕はあの2005年12月3日の彼の涙を忘れない。
あのゴールのあとの、彼の姿を一生忘れない。
あー、ダメだ。
また泣けてきたのでもう終わり。